美作女子大学・美作女子大学短期大学部紀要
 2001,Vol.46,94〜104

報告・資料


「きせきの子牛“元気くん”を活かした地域づくり研究会」に関する活動報告(第1報)
 −研究会結成までの経緯と活動の概要について−
A Report on the Study Group for Local Area Design by means of The Amazing Calf ‘Genky’(I)
− The Inauguration of the Study Group and an Outline of its Activities −

福 田 恵 子



1. はじめに

表1.台風10号による岡山県内の被害状況
被 害 状 況 岡山県 津山市
人 的 被 害 死   者(人)
行方不明者(人)
負 傷 者(人)
5
1
27
0
0
5
住 宅 被 害 全 半 壊(戸)
一部損壊 (戸)
床上浸水 (戸)
床下浸水 (戸)
36
180
2,668
4,692
9
43
1,740
1, 414
県内の農林・土木等の被害額    63,041,000千円
(平成11年5月14日岡山県消防防災課調べ)

 平成10年10月17日深夜から18日未明にかけ,岡山県東部を縦断した台風10号は,中型で並の勢力にもかかわらず,表1に示すような深刻な被害をもたらした。県内では,平成2年9月の台風19号(死者10名,床上・床下浸水家屋約8,000戸)以来の大災害で,津山市・吉井町・御津町・柵原町では,災害救助法*1)が適用され,復旧活動が行われることになった。
 このような惨憺たる状況の中,一つの明るい話題が報じられた。津山市金屋の石岡牧場から吉井川の濁流にさらわれた子牛が,瀬戸内海の黄島(岡山県牛窓沖)で生きて発見されたのである。この子牛の生還は多くの人々に感動を与え,一躍子牛は,命の尊さを改めて人々に問いかける存在,“生きる喜び”“勇気”“努力”“希望”のシンボル的存在となった。
 「きせきの子牛」の実話は,「紙芝居」*2)や「歌」*3)に再現され,マスコミ等の報道を通じて県内外で大きな反響を呼んだ。私たちは,この子牛*4)を通じてより多くの人々が手を結び,いきいきと幸せに暮らせることを願って,被災からちょうど1周年目に「きせきの子牛“元気くん”を活かした地域づくり研究会」(通称「元気くんの会」)を発足させた。
 本報告書は,研究会発足までの経緯をまとめるとともに,発足後1年間の活動成果の概要を報告するものである。




2.台風10号の概要と被災状況

図1
図1.台風10号の四国・中国地方縦断経路および勢力概要
図2
図2.吉井川(小桁)の水位変動[平成10年10月17日〜18日]

 図1は,台風10号*5)の四国・中国地方縦断進路,および10月18日午前0時(最も津山市に接近したとみられるのは午前0時30分頃)における台風の勢力概要である*6)。この台風は,県中北部に短時間に激しい雨を降らせたが,河川情報センター津山観測所(昭和町)のデータによれば,17日21時〜18日午前1時までの4時間に,総降雨量220mm(16日14時から18日午前1時まで)の71%に当たる156mmが降っている。特に,17日23時から18日午前0時にかけての1時間は,51mmという記録的な集中豪雨であった。この豪雨にともなって吉井川の水位は上昇し,その最高水位は警戒水位(2.6m)の倍以上の5.69mまで達した*7)(図2)。
 昭和20年9月の枕崎台風で,流出家屋(一部流出を含む)80戸,全半壊家屋58戸,床上浸水4,955戸,床下浸水家屋1,595戸の被災経験を持つ津山市では,昭和52年から公共下水道事業で雨水の排水対策に着手し,平成9年度末までに1時間当たり約50mmまでの降雨であれば浸水をほぼ回避できる状態まで整備がなされていたという。また吉井川は,昭和54年から県が護岸改修を進めていた*8)。しかしながら,予想を超えた集中豪雨による増水に,津山市街地は,吉井川から排水路へと泥水が逆流する状態で浸水した。郊外では,皿川流域の佐良山地区や吉井川流域の福南地区で河川が氾濫し,地域によっては3〜4mの高さまで水没した。津山市がまとめた地区別住家被害状況を図3*9)に示す。なお,後述する子牛の飼育されていた牧場はこの福南地区に存在する。
 災害復旧活動は,市民やボランティア延べ5,864人(10月20日〜11月23日)による救援・救助活動のもとで行われた。また市内外から,救援物資とともに152,524,117円(935件)にのぼる義捐金が津山市へ寄せられた。


図3
図3.津山市地区別住家被害状況図(提供:津山市)



3.「きせきの子牛」実話記録

(1)牧場内の悲劇
 石岡牧場は,吉井川に面した県道26号線沿いに立地している。吉井川の増水で,県道は18日午前0時頃から冠水。午前2時頃には,牛舎は2mを超える高さまで水没した。石岡基氏は,瞬時の増水に事務所の書類搬出がごくわずかできただけで,牛たちを避難させる余裕はなかったという。
 牧場では180頭あまりの肥育牛と,買い付けてきた子牛にミルクを供給する乳牛が10頭飼育されていた。肥育牛は小屋内で放牧されており,乳牛は綱でくくられているのが常であった。洪水当夜もそうであったことから,乳牛たちは,屋根にまで達する水に体が浮上したため,綱で結わえ付けられた首が下になった逆さ首吊り状態で10頭全てが溺死してしまったのである。水が引いた後の惨状は,地獄さながらだったという。
 牧場関係者らは,激流にのみこまれた牛舎を少し離れた丘から見守るしかなかったが,放牧されていた肥育牛たちは,牛舎の電灯の明かりを頼りに懸命に泳いでいたという。その様子は,懐中電灯に照らし出される牛たちの黒く光る目で確認することができたようだ。しかし,停電でその明かりが消えるや否やそれらの目も消え失せ,濁流にのみこまれてしまったということである。中には,牧場の人々が照らす懐中電灯と呼び声に向かって自力で丘の方へ泳ぎ着いた牛もいたが,多くの牛たちは,力つきて石岡氏の目の前で流されていったのである。その数は合わせて21頭にもなった。
(2)吉井川への流出から生還まで
 流された牛たちの中に,奇跡の生還を果たした子牛がいた。21頭のうち16頭は死亡,吉井川流域で救助された牛が4頭,海まで流されて生きていたのは子牛1頭だけであった。この子牛は,生後6ヶ月*10)の黒毛交雑種*11)の雄である。流出当時の大きさは,体高110cm,体長120cm,体重150kg,胸囲135cmであったが,決して体格の良い勢力旺盛な子牛ではなかった。むしろ,同期に生まれた子牛たちよりも成長が遅くひ弱であったため,「いじめられっ子」的存在であったという。通常,このような子牛は,1サイクル後輩の子牛たちのグループへ仲間入りさせて成長の進度をそろえることになる。そうすることによって,勢力の強い仲間を畏れずに生活できるため,心身共に健全に成長できるのである。この子牛は,洪水当夜まさにその状況にあり,後輩グループを待って,1頭だけいつもと違う牛舎に移されていたのであった。子牛のいた牛舎は,濁流によって一部崩壊していたことから,そこから容易に流されてしまったようだ。
 吉井川に投げ出された子牛の生還は,まさしくいくつもの幸運が重なったものであった。まず,吉井川には,新田原井堰(和気町)・坂根合同堰(瀬戸町)・鴨越堰(岡山市西大寺)といった3つの堰といくつもの橋がある。これらの堰の高低差はかなりのものだ。増水時の激流の中,いかにこれらを克服したのであろうか。また堰や橋に激突する可能性も十分に考えられ,未だにこの部分は神業的なナゾの部分として残されている。
 次に,吉井川河口付近のどの位置を子牛が流されていたかによって,生還への明暗が分けられた。河口から瀬戸内海を望むと,中央に犬島,その遙か向こうに小豆島をのぞむことができる。犬島方面あるいはそれ以西に流されていたとすれば,犬島周辺のノリ養殖網に絡まる(石岡牧場から流された成牛2頭が死亡していた)か,小豆島まで島がないことから,恐らく生存の可能性はなかったと思われる。したがって,子牛は吉井川の東岸近くを流されていたものと考えられ,いくつかの小島が存する牛窓方面へ流れる引き潮に運良く乗ることができたようである。しかし,子牛がたどりついた牛窓沖の黄島(無人島)より以東は小島はないことから,これも最後の生へのチャンスをしっかりと捉えたとしか言いようがない。黄島漂着から発見・牧場への帰還については,表2*12)および資料1を参照されたい。救出時,子牛は背中に軽いかすり傷を負っていたもののきわめて元気であり,誰しも90kmも漂流した牛であるとは想像だにしなかったという。


表2.子牛の吉井川への流出から生還までの概要
表2

資料1
資料1.山陽新聞 第41544号[平成10年10月21日,第1面カラー掲載]



4.OFM活性化検討委員会と子牛の絵本化事業

 子牛の生還は,牧場関係者の復興・再建への大きな励みとなったばかりではなかった。この生還に感銘を受けた人々が牧場を訪れ,子牛への義捐金も寄せられた。このような状況を鑑み,石岡氏は帰還1ヶ月後の平成10年11月18日,おかやまファーマーズ・マーケット・ノースヴィレッジ*13)(以下,OFMノースヴィレッジと略記する)へ子牛を寄贈したのである。それにより,この子牛は,人間の産業用動物としての役割から一変して,命の重みを伝える存在―人間の豊かで健全な心の成長に貢献する役割を担ってその一生を歩むことになったのである。
 図4は,OFMノースヴィレッジの入園者数を前年度比で表したものである。子牛の寄贈とともに入園者数が増加し,低減傾向に歯止めがかかったことがわかる。寄贈された子牛を見に訪れる人々は,幼児〜小学生の子ども連れの親子や,ある程度の年齢を経た人が多い。その目的は,きせきの生還を果たした子牛を一目みたいという点では共通しているが,前者の場合は,それに加えて「子どもへの教育的配慮」が明らかに働いている(この子牛の生還実話のもつ教育的意義については,後報で詳述する予定である)。後者の場合は,子牛と対面する彼らの表情や語りかけから次のような意識が感じられる。子牛の過酷な「生」体験と,自らのこれまでの人生の機微を重ね合わせることによってわき上がる「共感的な敬愛の念」。そして,子牛の希望に満ちた力強い生に自らのこれからの人生を投射することによる「勇気と希望の享受」である。つまり,子牛は,訪れる個々人のこれまでの生き様を映しだす鏡であると同時に,これからの生き方への示唆を与える(実際には,各々自らがそれを決定するのであるが)存在なのだと感じられるのである。
 折しも子牛の寄贈は,開園1年間の実績から施設運営の見直しと今後の発展性を見込んで活性化検討委員会*14)が開催されていた期間中(1998年9月〜1999年2月)のことであった。心の栄養としてより多くの子ども達に子牛の実話を語り伝えること,そして,半世紀に一度という大災害を記録に留めておくことを目的として,第3回OFM活性化検討委員会(平成10年11月30日)にて,子牛の絵本化事業の提案*15)がなされた。それを機に,絵本化事業の実現に向けて様々な計画や資金面での検討が開始されたのである。


図4
図4.OMFノースヴィレッジにおける入園者数前年度比



5.研究会発足に至る経緯

 本研究会発足のきっかけとなったのは,前述した「きせきの子牛」絵本化事業であった。OFM活性化検討委員会での準備検討段階から本研究会のプロジェクトとして具現化するまでの詳細については,第3報で述べる。ここでは,絵本化の実現を可能とした「財団法人自治総合センターによる助成事業」の紹介と,助成対象となり得る研究会組織の構築経緯についてまとめる。
 上記助成事業の趣旨は,「宝くじの普及広報事業費として受け入れる宝くじ受託事業収入を財源とし,以下のコミュニティ活動助成事業を行うことによって,コミュニティの健全な発展を図るとともに,宝くじの普及広報事業を行う」ことにある*16)


  【コミュニティ助成事業】
(1) 一般コミュニティ助成事業
(2) 緑化推進コミュニティ助成事業
(3) 自主防災組織育成助成事業
(4) コミュニティセンター助成事業
(5) 青少年健全育成事業

 「きせきの子牛」絵本化事業とこの助成事業の内容を照合させると,まさに「(5)青少年健全育成事業」に適合するものであったが,申請に関しては,次の2つの課題を具体化し解決する必要があった。第1に事業主体者の問題,第2に絵本制作に関する助成金の活用方途の明確化である。
 前者の課題については,助成対象事業者が〔1〕市町村,〔2〕地区住民のコミュニティ組織,〔3〕自主防災組織とされていることから,〔1〕ないし〔2〕が主体者として考えられる。すなわち,台風10号で被災した津山市,子牛が寄贈された農業公園の存する勝央町,そして絵本化事業を核として結成された新たなコミュニティ組織といった3者のいずれか,あるいはその連合組織ということになる。「きせきの子牛」絵本化の意義を改めて問うたとき,台風による大災害の事実を後世へ伝える“記録絵本”であるという観点からすれば,津山市の支援を得ることが先決かつ必須と考えられた。その打診の結果,事業化実務母体として本研究会の発足を企画・実施する運びとなり,津山市と本研究会の連合事業として推進・実現していくこととなった。勝央町については,台風10号災害をほとんど受けていないという点,そして町制改変の時期にあたり主たる事業者とはなり得ないといった実情から,研究会の構成団体として参加することになった。以上の研究会発足に至るまでの経緯は,表3にまとめた。


表3.研究会発足に至るまでの経緯
表3

 後者の課題について述べる。絵本出版にかかる暫定予算については,OFM活性化検討委員会での絵本化準備段階から検討してきたが,出版社へ絵本制作を委託した場合(作家・絵作家を出版社側が選考・依頼する自費出版的形態),その大枠は次のように査定された*17)


出版部数 : 1,000〜2,000部
絵本の体裁 : 32ページ全カラー版絵本
出版経費 : 作 家  40〜50万円
絵作家  40〜50万円
製本費用 150万円

 つまり,絵本化は実質250万円事業であり,諸経費等を含めると総額300万円と見積もられた。青少年健全育成助成事業にあっては,30〜100万円の助成を見込むことが可能である。助成金以外の資金の充当に関しては,OFM管理運営財団が請け負う案も検討されたが,津山市が平成12年度事業として全面的に支援する方向で解決された。それにより,絵本制作の事業主体は名実共に津山市におかれることとなり,コミュニティ助成の申請においても,この事業が津山市を主体としたコミュニティ活動推進に寄与することが要請された。
 以上の経緯から,子牛の実話を通して青少年健全育成とコミュニティ活動の促進を図ることを目的とし,「(1)きせきの子牛“元気くん”を題材とした絵本の制作」および「(2)津山市子どもまつりの実施」を抱き合わせた活動事業として,助成申請*18)がなされたのである。





6.研究会の構成組織

 本研究会は,美作女子大学,岡山県津山地方振興局,岡山県勝英地方振興局,津山市教育委員会,勝央町,OFM管理運営財団,といった6団体から構成されている。公的な団体が主ではあるが,あくまでも非公式な色彩の濃いコミュニティ団体であり,ボランティア的に地域住民の利益を追求し,地域の活性化に寄与することを旨としている。
 研究会内部組織を図式化すると,図5のようになる。
総合事務局を美作女子大学に設置し,現在,4つのプロジェクト部門―「紙芝居」実行委員会・「絵本制作」実行委員会・「イベント」実行委員会・「アニメ制作」推進委員会―を軸に活動を行っている。研究会の活動は,通常,各プロジェクト事務局を中心に推進されているが,総合事務局はそれを把握・統括・支援することにより研究会の連携を保っている。また,地域への広報活動も総合事務局の役目と考える。  会議は,既年度の活動報告および新年度の活動方針の提案とそれらを論議する場として位置づけられている。それゆえ,新たな活動計画に有益な意見を得る目的で,特別出席者にも参加いただくシステムをとっている。
 なお,これらの構成団体・プロジェクト組織は固定的なものでは決してなく,社会の流れとともに,推進・実行可能な価値ある活動を模索していく流動的なものであることを付記しておく。


図5
図3.津山市地区別住家被害状況図(提供:津山市)



7.研究会におけるこれまでの協議事項

 研究会の「発足打ち合わせ会議」・「発足会議」・「第2回会議」における会議次第・各プロジェクトの活動報告および活動方針・会議出席者を表4にまとめた。これにより,研究会の組織および活動概要を把握いただけるものと思う。
(1)発足打ち合わせ会議[平成11年9月14日]
 この会議は,台風10号災害からちょうど1周年目に予定している発足会議開催に関する事前調整会議であった。OFM管理運営財団事務局長寺内侃一氏により,予定構成団体へ開催案内および参加依頼がなされた。
 この会議の開催目的は,これまで美作女子大学・OFM管理運営財団・津山市教育委員会を中心に展開してきた一連の作業経緯の説明を行い,構成団体の理解と協力を得ること,そして青少年の健全育成・地域住民のコミュニティ活動の基盤として,多方面から長期的展望のもとで活動を推進・継続していく等の意識の統一を図ることにあった。
 この会議において提起されたこれからの懸案事項は,次の2つに集約される。第1に,活動資金と組織作り,第2に,地域への活動成果の還元方法である。両課題は互いに連動するものであり,地域住民と公的機関が一体化したコミュニティ組織として発展し,関連諸組織との連携を図ることができたならば,組織・資金・人材上,より積極的で有益なコミュニティ組織へと成長することが可能となる。したがって,各構成団体の支持・協力のもと,発足当初にうち立てたプロジェクト案を今後いかに活かしていくかが,問われることとなった。


表4.会議次第および各プロジェクトの報告・提案内容
表4

(2)発足会議[平成11年10月18日]
 発足会議は,報道関係各社に公開した形態で行われ,中尾嘉伸津山市長をはじめ演出家楠葉宏三氏(日本アニメーション株式会社)等の特別出席者を迎えて開催された。発足会議に関するプレス発表当初から発足後まで,産経・読売・毎日・山陽・津山朝日(資料2)等の各新聞社が複数回にわたって報じたほか,津山市を中心とした県北地域の明るく活気づいた話題としてテレビ報道もなされた。これにより地域住民への広報はもちろんのこと,マスコミの助力で一層活性化に拍車がかけられたのである。
 発足会における大きな議題は,表4における協議事項(1)〜(3)であった。
 「(1)研究会発足に関する趣旨説明」は福田が担当した。台風10号災害を振り返るとともに,子牛の生還が災害復旧の励みとなった事実をふまえ,子牛の多様な魅力を地域の活性化・青少年の健全育成に活かしたい旨を伝えた。特に,青少年の健全育成については,中央教育審議会から「幼児期からの心の教育の在り方について」答申(平成9年8月)が出され,知性(合理的な精神や理性的な判断力)と感性(感動する心や共感できる心)を柱とした「生きる力の育成」が今日の教育的課題としてクローズアップされている時期でもあり,本研究会の実質的な機能と成果が期待された。
 「(2)研究会設置および運営要領(資料3)の検討」については,その案の承認とともに,目瀬守男美作女子大学学長が会長に決定され,会長の指名に基づいて福田が事務局長に就任した。
 「(3)今後の活動計画」は,表4の各プロジェクト提案内容を参照いただきたい。「紙芝居」実行委員会においては,(1)紙芝居コンクールへの応募,(2)出版方途の検討,(3)外国語版への翻訳と海外上演,という多様かつ壮大な計画が示された。「絵本制作」実行委員会においては,津山市と本研究会の連合事業として着手し,平成12年度に絵本を制作・配布する見通しが示された。この提案により,「きせきの子牛」の絵本化事業が市民へはじめて公開されたことになる。「イベント」実行委員会においては,そのプロジェクト事務局をOFM管理運営財団が担当していることもあり,ノースヴィレッジ内での子牛寄贈1周年記念祭の計画案が出された。「アニメ制作」推進委員会においては,事業化リスクもふまえ,他のプロジェクトの成果を勘案しながら慎重に検討していく方針が打ち出された。


資料2
資料2.発足会議;津山朝日新聞 第23447号[平成11年10月18日]

資料3
資料3.きせきの子牛“元気くん”を活かした地域づくり研究会設置および運営要領

(3)第2回会議[平成12年6月20日]
 第2回会議は,発足以来半年以上にわたる各プロジェクトの活動成果の報告と今後の活動計画を中心として議事が進行した。言うまでもなく,各プロジェクトとも発足打ち合わせ会にて提起された懸案事項をふまえつつ,着実に実績を上げている。
 殊に「紙芝居」実行委員会においては,「第20回記念神奈川県手づくり紙芝居コンクール」において最優秀賞を受賞(平成11年11月14日)したことで,「きせきの子牛」の実話は全国へ知られることになった。さらには,英訳版の完成とオーストラリア上演も実現し,NHK国際ラジオ放送を通じて,全世界へと報道(平成12年5月11日)されたのである。また,コンクールでの受賞をうけて「第1回岡山芸術文化賞特別賞」(平成12年5月22日)も授与され,当初の予想を遙かに超えた効果を発揮した。これらの詳細については,第2報で紹介する。
 「絵本制作」実行委員会においても,表4に示すほか多くの手続きを経て,日本アニメーション株式会社制作・ぎょうせい出版による32ページ全カラー版絵本(2,000冊)が,平成12年9月末に完成予定であることが報告された。津山市の平成12年度事業としての絵本の制作は,予算案が一般公示(平成12年2月下旬)された段階でテレビ報道にも取り上げられ,注目を浴びた。「津山発,全国へ。」これは,発足会議での中尾嘉伸津山市長の発言であるが,確実にその一歩を踏み出したと言えるであろう。
 「イベント」実行委員会においては,子牛のOFMノースヴィレッジへの寄贈1周年を記念した「元気くん1周年記念祭」(平成11年11月21日〜28日)における紙芝居の上演,青少年の健全育成をテーマとした講演会*19)および討論会*20)に関する活動報告とともに,「2周年記念祭」における絵本出版記念イベントの素案が示された。
 上記の各プロジェクトが軌道にのった一方,今後最大の課題は,アニメ化の推進問題―主として制作資金に関する課題である。アニメ化推進の意義を再度問い直さなければならないことは当然のこと,推進の可能性を探るべく,助成制度等の検討をはじめ,自治体・企業体からの支援,制作ビデオ配布による還元額の概算,募金運動等による自助努力資金など多面的な方途を同時並行的に模索していかねばならない。そのような中で明らかに言えることは,支援組織・構成組織拡充の必要であり,この事業を推進していくためには現実問題として不可欠の条件と言える。
 平野五香牛窓地区婦人会会長の特別参加は,県北地域を中心とした現組織から,吉井川流域の市町村へと組織を拡大するうえで仲介役ともいえる重要なものであった。また本会議において今後ともその務めを果たす意志が示された。さらに,河川を舞台とした実話であることから,建設省中国地方建設局の支援も得られることとなり,停滞状態であったアニメ化推進事業の検討を前向きに行っていくことで全体の合意が得られた。





8.今後の課題

 今後の課題は,研究会の活動・運営面における新たな視点の導入である。これまでの活動は,本研究会でプロジェクトを企画・推進し,その成果を地域の活性化へ役立てようとする一方向的なものであった。しかし,研究会が真の意味において地域住民のコミュニティ活動の拠点として機能するためには,もう一つの視点―既存のコミュニティ活動の中に本研究会を融合させ,半官半民的な本組織を地域で活動する人々のために役立てていくという発想である。そのためには,諸コミュニティ団体とのネットワーク作り,地域のコミュニティ活動に関する情報収集と情報の発信など,「ネットワーク企画・推進室」なる事務局の設置も将来的には必要となろう。「地域に根づき,地域から必要とされる,地域の人々と共に生きる」研究会として成長・発展していくためには,これまでの「本研究会独自のプロジェクトの推進」とともに,新たな「地域住民のコミュニティ活動を支援する活動」を両輪として邁進していかなければならないと考えている。





註および参考文献

1)

知事が政令で定めた基準以上の災害発生市町村において,その市町村が行った避難所の設置・炊き出し・寝具等の給貸与・学用品の給与・障害物の除去等に対して,国と県が1/2ずつ経費を負担することにより,災害にあった者の保護と社会の秩序の保全を図ることを目的としたもの。

2)

美作女子大学制作:平成11年5月1日完成(5月2日付山陽新聞にて報道)。5月5日OFMノースヴィレッジにて初披露(毎日・山陽・津山朝日新聞等,NHK・山陽放送テレビ等で報道)。

3)

ギタリスト中林淳眞作詞・作曲:平成11年4月20日付朝日新聞にて完成報道。平成11年5月1日グリーンヒルズ津山にて初披露。

4)

子牛の名前は,全国から寄せられた1,441点の中から「元気くん(GENKY)」に決定(平成11年3月10日)。3月14日に命名式が行われた。[公募期間:平成10年11月28日〜平成11年1月31日]

5)

平成10年10月11日午前3時頃マリアナ諸島の南方で発生。14日午前9時には,900hPaの超大型台風となりルソン島に上陸。その後中型で並の強さとなり,17日に鹿児島県に上陸。九州南部・四国を通り,中国地方の東部へ進んだ。この年は台風1号の発生が過去最も遅く,個数も少なかったが,上陸の割合は高く台風10号で4つめであった。10月の台風上陸は,1990年以来のことであった。

6)

津山市『台風10号災害―津山市の記録1998年』,(平成12年3月)
山陽新聞:第41542号(平成10年10月19日)

7)

岡山県水位観測所データ

8)

山陽新聞:第41544号(平成10年10月21日)

9)

津山市『台風10号災害―津山市の記録1998年』,p.9より転載(平成12年3月)

10)

平成10年4月生まれのF1去勢子牛。

11)

黒毛和種とホルスタイン種の交配種。

12)

平野五香「奇蹟の子牛(元気くん)」,『牛窓地区婦人会だより』第55号(平成12年3月31日)

13)

岡山県がOFM管理運営財団に経営を一括委託した第3セクター農業公園。平成9年4月21日開園。

14)

委員長:野平匡邦氏(岡山県副知事・OFM管理運営財団理事長),副委員長:植月和男氏(勝央町長)。福田も目瀬守男学長とともに委員を務めた。
 福田恵子「おかやまファーマーズ・マーケット・ノースヴィレッジの活性化に関する研究―利用実態と体験型レジャー施設としての課題」,美作女子大学・美作女子大学短期大学部紀要,第45号,124‐134(2000)

15)

提案者:福田恵子(美作女子大学講師)。
絵本化事業は資金的な問題を抱えていることから,事業としての可能性と遂行時期の不確定さの問題も包含しており,その後,絵本化に先立って「紙芝居」作りの提案(提案者:石堂ノースヴィレッジ支配人,平成10年12月)がなされた。紙芝居の制作は,美作女子大学が請け負うことになった。

16)

平成11年度コミュニティ助成事業実施要綱

17)

東京:大手出版会社2社からの聞き取り調査に基づく。

18)

津教委社第20号:「助成申請書(青少年健全育成事業)」,平成11年9月29日付
[申請先]財団法人自治総合センター理事長松本英昭
[事業実施団体代表者]津山市長 中尾嘉伸

19)

演題:「元気くんの命の旅から学ぶこと」
講師:美作女子大学助教授 福田恵子

20)

テーマ:「親の言い分・子の言い分」
コーディネーター:美作女子大学教授 松岡信義
パネラー:藤原修巳(美作女子大学),横川知之(美作女子大学),和田百合子(美作女子大学),吉田志津子(人形劇グループ「空とぶにんじん」)




謝 辞

 本研究会の発足・推進においては野平匡邦氏(自治省消防庁審議官),報告書作成にあたっては,目瀬守男氏(本学学長),石堂寿隆氏(OFMノースヴィレッジ支配人),津山市教育委員会の皆様には多大なるご支援を賜りました。記して謝意を表します。


(2000年12月1日 受理)


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