論 文

水道水中のトリハロメタンの煮沸除去に関する研究

Removal of Trihalomethanes in Tap Water by Boiling.

鵜崎 実,古庄 志真子,嶋津 暉之京都環境科学研究所)

緒 言

水道水中には,浄水場で実施される塩素処理によって副次的にトリハロメタン(THM)や有機ハロゲン化合物などの変異原物質,発癌性物質が作り出されている1)2)。総THM量は水質基準項目の1つであり,100ppb以下(1 水道水に0.1mg以下)に保つことが義務付けられている。主として河川地表水を水道原水に利用している大都市圏(東京,近畿地方)の水道のTHM濃度は,季節にもよるが,15-70ppbの範囲3)4)5)にある。この水準は基準値以下ではあるが,健康への影響の観点からどのように見るかについては,未だ議論のあるところである5)6)。いずれにせよ実際に水道水を飲料として用いるには,THMや有機ハロゲン化合物含有量が少ないことに越したことはない。

浄水場の塩素処理副生成物である多くの有機ハロゲン化合物の中でもTHMに代表される揮発性の高い化合物群は,水道水の温度を上昇させることによって除去することができる。ところが,大阪市水道局の梶野7)の研究によれば,水道水を加熱することによってかえってTHM濃度が上昇し,むしろ沸騰した時点で最大濃度となる。そして未加熱の水道水のTHM濃度水準にまで戻すために10分以上の煮沸が必要とされることが示された。これは,水道水中のTHMの起源となる有機物と残留塩素が,加熱することによって反応し,あらたにTHMが生成するものと考えられた。吹田市の市民グループは,同様の検討を行い,冬期の水道水については加熱によってTHM濃度が増加するが,夏期には増加しないという結果を出した8)。これらの研究では,春,秋の水道水については明らかにされていない。多くの書物9)10)や雑誌には,ここに紹介した数少ない報告に基づいて,THMの煮沸除去条件が紹介されている。本研究は,東京都および岡山県津山市の2個所の水道を対象として,年間を通して繰り返し加熱煮沸実験を行うことから,THMの加熱煮沸除去法に関する議論を深めることを目的とした。そして,加熱煮沸によってTHM濃度がどのように変化するか, その変化は季節的な影響があるのか, THMを除去するのにどの程度の煮沸が必要とされるか,などを明らかにする。

試料及び実験方法

1.水道水試料

東京都水道水:東京都環境科学研究所(東京都江東区新砂)3階応用研究部研究室の水道蛇口から採水した。採水は,1993年8月6日,12月27日,1994年3月14日,6月20日,8月10日の5回行った。本水道は,当研究所屋上の受水槽を経由している。なお,この水道は東京都水道局金町浄水場から配水され,原水は江戸川表流水である。浄水法は急速ろ過法で,採水地点は浄水場から直線距離で約10kmの位置にある。

津山市水道水:美作女子大学(津山市上河原)水道の蛇口から採水した。採水は,1993年12月22日,1994年2月25日,5月24日,7月28日,9月1日,10月20日,11月17日の7回行った。なお,この水道水は津山市水道局小田中浄水場から配水され,原水は吉井川表流水で,浄水法は急速ろ過法である。美作女子大学は浄水場から直線距離で約4.5kmの位置にあり,本水道は受水槽を経由していない。

東京都,津山市の水道水試料の蛇口水温および有機炭素量を表1に示す。

表1.水道水試料の蛇口水温と有機炭素量


2.加熱煮沸実験

採水した水道水は採水後直ちに5 のアルミ製やかんにおよそ4 満たし,蓋をした後,家庭用ガスコンロ(津山市水道についてはプロパン,東京都水道については都市ガス)で加熱した。所定の温度(40,60,80,100℃)に到達した時点および100℃に到達以降(沸騰後)は所定時間(2,4,6,8,10分など)が経過した時点で,やかんの口よりおよそ100 ずつすばやく300 三角フラスコに注ぎ出し,アイスバス中で急冷した。なお,温度はやかんの蓋の穴から温度計を差込んで測定した。急冷した後直ちに,残留塩素量をo−トリジン法によって測定した。

3.THMの測定法

THM測定:加熱試料水10 を15 スクリュー栓付(テフロンパッキング使用)試験管にとり,n−ペンタン2 を加え,30秒以上振とうし,THM類を抽出した。n−ペンタン抽出液をガスクロマトグラフ(検出器:ECD)に導入し,クロロホルム,ブロモジクロロメタン,ジブロモクロロメタン,ブロモホルムを分離定量し,それらの合計を総THM量とした。分離には,ガスクロマトグラフ(Hewlett Packard製5890シリーズ)を用い,DB-624キャピラリーカラム(内径0.53,長さ30m,膜厚3 )を使用した。カラム温度は,試料導入時から4分間40℃に保持し,その後4.5℃/minで120℃まで昇温した。

結果および考察

1.残留塩素濃度の変化

図1に,東京都水道水の5回の加熱煮沸実験での全THM濃度および残留塩素濃度の変化を示した。

また,図2に津山市水道水の7回の結果を示した。


図2.津山市水道水試料の加熱煮沸実験における全THM濃度および残留塩素濃度の変化

残留塩素濃度は,東京では0.50〜0.70 / (平均0.58 / ),津山は0.35〜0.70 / (平均0.49 / )で,わずかに東京が高かった。日本の水道の残留塩素濃度は,蛇口で0.1 / 以上であることが義務づけられ,またおいしい水の確保の観点から1.0 / 以下であることが推奨されている。今回,試料として用いた水道水は,いずれもその範囲内であった。東京,津山水道水のどちらの試料も加熱とともに残留塩素濃度はなめらかに減少し,100℃でほぼ水道水中から消失した。残留塩素の消失によって,やかんの中で水道水中の有機物と残留塩素が反応する可能性は無くなる。

2.加熱による全THM濃度の増加

加熱,沸騰が全THM濃度を未加熱水道水より増加させるかどうかを明らかにするため,表2に未加熱水道水中の全THM濃度に対する80℃および100℃の加熱水道水の全THM濃度の比を示した。なお,この温度帯は,水道水を加熱してお茶などにしばしば使用される範囲である。80℃あるいは100℃で未加熱水道水より高い値となったのは,東京,津山で合わせて12回の加熱煮沸実験のうち6回であった。東京1993年12月,同1994年3月試料では,80℃でTHM濃度は未加熱水道水の2倍に達し,また東京1994年6月試料の80℃でもわずかに(1.1倍)高くなった。津山では1993年12月,1994年2月および11月試料が,80℃および100℃で未加熱水道よりも1.0〜2.3倍高くなった。この濃度の増加は,主として冬季を中心に起こっている。したがって,この時期に水道水を加熱して80℃〜100℃で直ちに用いることは,全THM濃度を未加熱水道水よりむしろ増加させて使用することになる。吹田市の市民グループは,冬期の水道水について加熱によってTHM濃度が増加することを示した8)が,今回の結果はそれとほぼ一致した。

3.加熱による全THM濃度の変化パターンとその要因

図1および図2に示したように,加熱による全THM濃度の変化パターンは様々であるように見える。しかし,津山市の1993年12月から1994年11月までの加熱沸騰実験の100℃までの昇温過程での全THM濃度の変化パターンを見ると1つの連続性があるように思える。1993年12月は,80℃および100℃にピークを持つが,1994年2月に100℃にピークとなり,同5月は80℃,同7月が60℃,同9月が未加熱(27℃),同10月が60℃,同11月80℃とピークが移動している。すなわち,2月頃と8月頃を境としてピーク位置の反転が起こっている。東京の場合も津山の傾向に合致している。

加熱による全THM濃度の変化パターンを決定する要因として,温度上昇による揮発除去速度,温度上昇によるTHM生成速度,未加熱水道水にふくまれる有機物量のTHM生成能力,およびその有機物量,が考えられる。

一般に,水道水の加熱は,そこに含まれるTHMを揮発除去し,その濃度を減少させる方向に働く。ところが,やかんの全THM濃度の変化パターンはそのような単純な減少変化を必ずしも示さず,冬季を中心とした時期には未加熱水道水中の全THM濃度よりも高いピークを生じた。これは,残留塩素と水道水中の有機物との反応によって新たにTHMが生成していることから説明される。なお,THM生成の可能性は,後述するTHMの各成分組成の加熱変化からも支持された。

季節的な全THM濃度ピークの移動は,THMの揮発除去と生成速度からだけでは困難で,上記要因のTHMの生成能力の季節的な変化を考えることで説明することが出来る。たとえば,冬季の水道水の全THM濃度のピーク位置は100℃の位置にあるが,これは水道水が浄水場から蛇口に送られてくる間に(浄水場および水道管中で),水道水温が低いためにTHM生成反応が十分には起こらず,やかんの中にその反応が持ち越され,加熱することによってTHMの生成が急速に進行することが考えられる。すなわち水温の低い時期は,やかんに入れた水道水のTHMの生成能力が非常に高く,そのため加熱した時にTHM生成能力がすぐに落ちることなく高い温度まで継続されることになる。一方,水道の蛇口水温が上昇してくるとやかんに入れた水道水のTHM生成能力が低く,そのため加熱するとすぐにTHM生成反応が減衰すると考えられる。それ故,全THM濃度のピークは低温側にシフトすることになる。浄水場から蛇口までの間のTHM生成については,浄水場からの到達距離(水道管の通過距離)が長いほど全THM濃度が高くなること,すなわち,その間にTHM生成が進んでいることが知られている10)11)。また,浄水場の諸過程でのTHM生成の様子は,Bellarら1)の報告がある。

4.加熱による各THM成分の変動

THMの4つの成分のうち,クロロホルム,ブロモジクロロメタン,ジブロモクロロメタンの組成比の加熱煮沸過程での変化を図3に示した。

THM成分の中で最も沸点の低いクロロホルムが61.2℃,最も高いブロモホルムが149.5℃である2)。THMが揮発除去されるとき,低沸点成分−すなわち沸点の最も低いクロロホルム−が優先して除去されるはずである。ところが,クロロホルムの割合は,東京12月,3月および6月試料で,温度上昇とともにむしろ増加する傾向を示した。これらの水道試料は,いずれも全THM濃度が未加熱水道水より80℃で高くなっており,THMの生成が激しい。したがって,クロロホルムの比率の上昇は,THM成分の中で特にクロロホルム生成が優勢であることを示していると考えられる。臭素を含むTHMの生成は,次のようなメカニズムで,クロロホルムの生成より早く起こることが知られている。臭素イオンを含む水道原水を浄水場で塩素処理すると,塩素のほうが酸化電位が高いため次亜塩素酸は消失し次亜臭素酸を生ずる。そのため塩素処理にもかかわらず,臭素の反応が優先すると考えられている13)。そのため,臭素化THMの生成は,塩素添加後すみやかに優先的に起こる。したがって,やかんの水道水の加熱段階で生成するTHMには,臭素化THMが少なく,クロロホルムが主として生成することは十分考えうることであ。したがって,この東京12月から6月の時期のクロロホルムの組成比の増加は,この時期にTHM生成が盛んであるとする前項の推定を支持するものと考えられる。

東京8月試料(1993年,1994年)では,クロロホルムの割合がわずかに減少傾向にあった。前項で夏季はTHM生成に比べ揮発除去が優勢となっていると推定したが,クロロホルムの組成比の減少はその推定を支持している。

5.煮沸によるTHMの消失時間

水道水のTHMは,煮沸を続けることによって最終的には消失する(図1および図2)。東京水道水試料では,煮沸後2分で未加熱水道水中の全THM濃度の0〜33(平均14%),4分で0〜10%(平均2%),6分で0〜2%(平均0%)となり,4分でほぼ消失した。

津山水道水試料では2分で未加熱水道水中の全THM濃度の7〜110%(平均38%),4分間で0〜31%(平均9%),6分間で0〜13%(平均4%),8分で0〜6%(平均1%)となり,6分でほぼ消失した。

未加熱水道水の全THM濃度の10%を切る水準になるのに時間がかかったのは津山2月と津山11月および東京3月で,4分間の煮沸が必要とされ,冬期の水道水に時間がかかる傾向があった。

梶野7)の冬季(1月)の水道水煮沸実験では,未加熱水道水の全THM濃度の10%になるのに30分以上かかっているが,また吹田市の市民グループの結果は,夏期8月の水道水で5分程度,冬期12月で10分程度となっている。これらに比べ,今回の結果は,短時間の煮沸で十分に全THM濃度が減少することを示した。

ま と め

東京,津山の両水道とも冬季を中心に全THM濃度は80℃〜100℃に加熱したときに全THM濃度が未加熱水道水よりも高くなった。

加熱煮沸実験による全THM濃度の変化パターンは,THMの揮発除去速度,THM生成速度,水道水の有機物のTHM生成能力および有機物量,の4つの要素から説明された。

加熱によるTHMの成分組成比の変化から,季節的に(水道の蛇口水温の違い),やかんの中でのTHM生成速度に強弱があることが推定された。そして夏季にはTHMの生成がTHM揮発除去速度に比べ劣勢になり,冬季は優勢になることが推定された。

煮沸により未加熱水道水の全THM濃度の10%の水準にまで減少させるための所要時間は,最大で4分であった。この結果は,従来の報告よりも短い。

引用文献

1)Bellar,T.A.,Lichtenberg,J.J.and Kroner,R.C.(1974)TheOccurrence of Organohalides in Chlorinated Drinking Waters.J.American Water Works Association,66,703.

2)Gray,N.F.(1994)Drinking Water Quality.John Wiley &Sons p.315.

3)田中一浩,守田康彦,鹿田雄喜,高橋敬雄(1993) 種々の条件下における水道水中の全有機塩素およびトリハロメタン量について(第1報)−煮沸の効果と全国各地のTOX, THMs量 環境化学3(1),85-89.

4)足立昌子,上田順子,舟倉由紀子,小林正(1994)近畿地方における水道水中のトリハロメタン濃度.衛生化学40(4),388-392.

5)中西準子(1990)いのちの水新しい汚染にどう立ち向かうか読売出版p.227.

6)小島貞男(1994)水道水をおいしく飲む 講談社P.222

7)梶野勝司(1982)水道における有機塩素化合物の生成過程とその制御に関する研究 博士学位論文(北海道大学)

8)9)の文献からの引用

9)五百井正樹(1991)水汚染の構造 北斗出版 P..205.

10)市民のシンプルライフセミナー著(1990)水はこうして飲めば心配ない 農文協 P..253

11)梶野勝司 personal communication(1997)

12)化学大辞典(1963)共立出版

13)丹保憲仁編著(1983)水道とトリハロメタン 技報堂出版 P..273.表1.水道水試料の蛇口水温と有機炭素量

(1997年12月1日 受理)